Image: Montage of an inert test of a United States Trident SLBM (submarine launched ballistic missile), from submerged to the terminal, or re-entry phase, of the multiple independently targetable reentry vehicles. Source: Wikimedia Commons
Image: Montage of an inert test of a United States Trident SLBM (submarine launched ballistic missile), from submerged to the terminal, or re-entry phase, of the multiple independently targetable reentry vehicles. Source: Wikimedia Commons

|視点|(人間の)歴史の終わり?(セルジオ・ドゥアルテ科学と世界問題に関するパグウォッシュ会議議長、元国連軍縮問題上級代表)

【ニューヨークIDN=セルジオ・ドゥアルテ】

フランシス・フクヤマの論文『歴史の終わり?』が出版されてからおよそ30年が経つ。タイトルに疑問符「?」が付いていることから、社会科学者・哲学者であるフクヤマが、国家間の矛盾や対立の終結を宣言したのではないことがよくわかる。フクヤマが主に問うていたことは、西洋の自由民主主義が人類の社会文化的進化の最終段階であり、永続する統治の最終形態であると考えることができるかどうか、ということであった。

19世紀にヘーゲルマルクスが論じた「歴史の終わり」という概念は、社会、統治システム、経済などに大きな変化がなく、人類の存在が未来に向かって無限に続いていく状態を前提としていた。

フクヤマが30年前に提示した主な問いは、ソ連崩壊後のロシアが、第二次世界大戦後の西欧の軌跡をなぞるのか、それとも「自らの独自性を自覚し、歴史の中に閉じこもる」のか、どう進化していくのかという点であった。フクヤマは論文の最後で、「歴史が存在した時代へのノスタルジア」は競争と紛争を煽り続けるだろうと指摘した。まさに、プーチン政権下のロシアがフクヤマの問いに答えを出しているかに見える。

ロシアによるウクライナ軍事侵攻後の現状を巡る多くの分析が、ロシアの行動を駆り立てたものは、帝政ロシア時代とソ連時代の50年間に存在したと言われている大ロシア再編への願望であるという点で一致している。つまり、フクヤマの言葉を借りれば、ロシアは「歴史の中に閉じこもる」ことを決意したのだ。もちろん、現在の北大西洋条約機構(NATO)とロシアの敵対状態の根源や原因はもっと複雑で、彼の論文の範囲には収まらないだろう。

フクヤマ論文が発表された時、米国とソ連との間の相互確証破壊がゆっくりと自己満足に陥りつつあったことを明確にしておこう。その頃までには、世界のほとんどの国々が、安全保障のために核兵器に依存することはあまりに危険であり逆効果だと判断していたのだ。

核兵器は暫く存在しつづけるであろうという核不拡散条約(NPT)の想定にも関わらず、世界の圧倒的多数の国々は、第6条の約束(=核軍縮義務)がいつかは実現するだろうという淡い期待を抱きつつ、NPTに埋め込まれた差別を黙認し、自らは核兵器開発を放棄した。核兵器国と、その安全を核兵器国の与える積極的安全保障に委ねている非核兵器国にとってのNPTとは、合法的な核保有者として条約が認めている5カ国が核兵器を強化し続けるためのライセンスとみなされるようになったのである。

今日まで確かに、2つの超大国(米国、ロシア)はより破壊的な兵器の開発競争を続けており、中国もかなりの距離を置いてそれに追従している。次の2つの核兵器国(英国、フランス)は、潜在的な敵方を抑止することを目的としたより小規模な核戦力を維持することで当面は満足しているようである。一方、1970年以降に登場した核保有国(インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮)は、条約に拘束されないため、先行した国々が辿った道を遠慮なく追従している。

2009年、米国のバラク・オバマ大統領とロシアのディミトリ・メドベージェフ大統領は新戦略兵器削減条約(新START)を締結して両国の核戦力を削減し、近い将来さらなる削減がもたさられるのではないかと期待をもたらした。しかし、その希望はすぐに裏切られた。耐用年数を過ぎるか、維持にあまりにコストがかかるようになった核兵器は確かに解体されたが、その後すぐに両国は、廃棄された兵器よりはるかに鋭く速い新しい破壊手段の技術改良と製造に多額の資金を投入した。また両国は、こうした削減を完全廃絶の目標に明確に結びつけることもしなかった。削減は、旧式の兵器に代わる新兵器のように、経済的、技術的な理由から行われたようであり、この削減が核兵器の脅威を廃絶するという真の意志を体現しているわけではない。

わずか9か月前の2021年6月、米ロの現首脳であるジョー・バイデンとウラジーミル・プーチンはウィーンで会談し、「核戦争に勝者はなく戦われてはならない」というミハイル・ゴルバチョフとロナルド・レーガンの1985年の宣言を共同で再確認し、将来的な軍備管理とリスク軽減措置に向けた下準備をするため「戦略的安定」対話を行うことを約束して、世界中の市民社会の後押しを受けたのであった。

これまでのところ、これらの提案に対するフォローアップは行われていない。新STARTは当初の期限から5年間延長されたが、米露関係の状況を考えると、短期的にも中期的にも、新たな軍備削減や二国間安定のための交渉が進展することは疑わしい。

すべての核保有国は、表現としてはさまざまであるが、必要あるいは正当化されるときには核兵器を使うと宣言している。中国はこの強力な武器を先制使用する予定はないと宣言している唯一の国であり、市民社会の中には他国も同様の方針を採るべきだとの声もある。

しかし、核兵器の先制不使用は、この破壊的な兵器を維持することを結局のところ認めるものであり、核保有国が、先制不使用を正当化するために、より殺傷力の高い戦争手段の開発を続けることが許されると感じる状況を助長することになる。無邪気さと二重基準を描いた啓蒙思想家ヴォルテールの物語に登場するカンディ―ドは、こう問いかけるだろう。「あなた自身がそれを使う知恵を疑っているなら、なぜそんなに固執するのですか?」

核兵器を保有している9カ国は形こそ違えど、「核兵器が存在し続ける限り」、人類文明を消滅させることのできるこの力を維持する権利があるとの自己満足的な考え方を共通して持っている。核兵器が戦争で使われて以来、国際社会は多国間軍縮交渉や軍縮措置を採用する努力を怠ってきた。

1946年、第1回国連総会は「原子兵器および大量破壊に応用できるその他すべての主要兵器を各国の軍備から廃絶するための特定の提案を成す」任務を与えられた委員会を立ち上げた。予想通り、米ソ超大国間の不信と敵意によってその方向での進展は見られなかった。

時が経つにつれ、その他の国々も核兵器を保有するようになり、まるで、核兵器そのものの存在ではなく、それを保有する国の数が主な問題であるかのように、軍縮から拡散防止へと徐々に重点が移された。今日までに、別の国々がこの排他的な「核クラブ」への加盟を求めないようにするための厳しいルールの確立以上のものは、既存の多国間条約では打ち出せていない。

NATOの東方拡大に対するロシアのウクライナへの軍事侵攻が引き起こした国際関係の急激な変化は、全世界を震撼させ、自己満足から恐怖や不安へと移行させた。突然、核兵器の使用が、敵対関係にある国々だけでなく、全世界にとって現実的な危険であるかのように思われた。戦場で比較的低出力の戦術核爆弾を使用することさえ、戦闘員や市民を完全に抹殺するまでに至る、より強力な爆発が避けられない連鎖を引き起こすという恐怖がもたらされたのである。

研究者らは、先の9カ国が合計1万3000発超(そのうち95%をロシア・米国)の核兵器を保有していると推定している。その一部でも使用されることがあれば、音速の数倍の速さで飛来する核攻撃によって実際の破壊を被った国々は、放射性物質を含んだ雲で覆われ、その結果として生じる「核の冬」によって農業を行うことが難しくなり、飢餓が広範に発生することになろう。わずか数百発の核爆発でも爆発すれば、環境は人間の生活には適さなくなり、文明は消滅する。

これはヘーゲル的な意味での人類の歴史の終わりを意味するのではなく、地球という惑星における人類の歴史の終わりを意味する。なぜなら、地球は太陽の周りを回り続け、不毛で放射能に満ちた冷たい岩と水の塊となり、少数の原始的だがたくましい種だけが生き残ることができるかもしれないからである。人類の文明が進化し、立派な成果をあげるには、数千年を要した。わずか数秒の爆発によってそれを消し去ってよいはずがない。(04.08.2022) INPS Japan/ IDN-InDepth News